西洋最古の窯・マイセン~有田焼の血脈を継ぐ最高傑作~
いらっしゃいませ!
今回は前回の有田焼のお話の続き。前回は有田焼が海外貿易で西洋諸国を席捲したというお話しでしたが、今回は有田焼が西洋諸国に与えた影響のお話を。
みなさんはマイセン窯をご存じでしょうか?マイセンはドイツを代表する西洋最古の磁器生産窯。写実的な絵付けと柔らかい白が美しい磁器は、多くの人を魅了し続けています。花の絵がとても繊細でありながら色鮮やかかつ艶やか。もはやデザインの域を超えてうつわの上で花が咲いているようでした。とあるイベントで実際にマイセンを手に取った私は、「海外でもここまで繊細な絵付けができる窯があるものか!」と感動しました。感動の末に2枚も買ってしまいました。
実はこのマイセンの誕生には有田焼が絡んでいるのです。時は1704年。この頃有田焼は人気絶頂を迎えており、ヨーロッパでは「白い金」と呼ばれていました。その異名が伊達ではなかったことは前回の記事でお話しした通りですね。
多くの王侯貴族が有田焼を求めたこの時代、神聖ローマ帝国ザクセン侯国アウグスト強王もその一人でした。彼の陶磁器好きは有名で兵士数十人と中国磁器を交換したりするほどでした。
そんな彼の陶磁器愛はついに西洋世界初の磁器生産に走らせます。錬金術師ベドガーに磁器生産の方法を確立させると領地マイセンの城を磁器生産工場に改修すると、技術向上のための磁器生産の研究を進めました。この研究には参考資料として約1000個の有田焼が使われたのだとか。こうして研究の末に生まれたのが美しい白に端正な絵を施した磁器達でした。アウグストはこの磁器の象徴として、自身の紋章である双剣を使用。こうして西洋初の磁器生産窯・マイセンが誕生したのです。
しかしこのマイセンの誕生、綺麗な話だけではございません。この城で行われた磁器生産は情報漏洩を防ぐために技術者たちを幽閉して行われました。(確かヘレンドも技術者を幽閉して作陶したといった話があったような…この手の話はおそらく当時としては決して珍しいものではなかったのでしょう。)
この結果、磁器生産体制の確立における最高功労者のベドガーが過労死してしまいます。欲を駆り立て、時には人々の人生までも狂わせる。その様はまさに金と言えます。
今なお世界中の人々を魅了してやまないマイセン。その歴史には日本の陶磁器が絡んでいたわけですね。ちなみにマイセンの製品ラインナップには有田焼の柿右衛門様式などをモチーフにした「シノワズリ」というシリーズがあります。モチーフ元には中国も含まれていたりするのですが、有田焼の技法をマイセンが再解釈した興味深いシリーズです。未だに原点たる東洋の美をリスペクトする精神がうかがえますので、ぜひご覧になってくださいね!
という訳で今回のお話は以上です!それでは~!